保守派の立場

私たちの教会は保守派の立場です。

保守派の意味を知る参考に、ある方(教会とは無関係な方です)のツイッターの一部を引用します。

・・・引用開始・・・
普遍的価値(自由、民主主義、基本的人権、法の支配、市場経済)を守るのが保守です。
宗教弾圧や独裁、人治、情緒政治を主張する人は保守ではないと思います。
それはファシズムであり、極右や極左の主張です。
・・・引用完了・・・

保守と呼ばれる人々であっても、何を保守つまり守ろうとしているかは、人それぞれです。

この人は何を守ろうとしているのか、というシッカリした目を持ちましょう。

ある人は、国家を守ろうとし、その国益を守ろうとします。それもよいことです。

でも国益が合わなければ、国と国がぶつかってその間に挟まれることになります。

同様に、各自の立場や主義や権益を守ろうとすれば、立場や主義や権益の違いに挟まれることになります。

上述のツイッターでは、広い意味での保守派は、普遍的価値を守る人々だと教えられます。

その考え方は、神様が被造世界を造られてキリストを通して伝えられた私たちのメッセージにも一致します。

世間の争いも、普遍的価値を大局で守ろうであれば対立することはありません。

なぜなら、普遍的価値を守ろうと協力することで、互いに高次元の価値観に高められるからです。

ところが、普遍的価値をつい忘れて、各自の立場を主張して、相手を否定すれば、どうなるでしょう。私たちは争うことになります。

忘れてはいけないことは、私たちは普遍の良心を持っていることです。良心は人生の羅針盤を担います。

皆さんの良心は、普遍的価値を共感します。したがって、普遍の良心からは、反目も争いも生まれません。

私のいう「皆さんの良心に任せます」の本意はそこにあります。