わきまえること

【今朝のレーマ】
2022年6月16日(木)

箴言 8.5

わきまえのない者よ。分別をわきまえよ。

愚かなよ。思慮をわきまえよ。

【追記】

わきまえを持つには、どうしたら善いでしょうか。

わきまえるためには、私たちに知恵が必要です。

では、知恵はどこから始まるのでしょうか。

箴言9.10 【主を恐れることは知恵の初め、聖なる方を知ることは悟りである。】

思い出しましょう。エバは、神様のように賢くなるとヘビに誘惑され、神様の言葉を破って善悪知る木の実を食べたのでした。

しかし、善悪を知る知恵は得られたでしょうか。

いいえ、神様の注意を聞かず、主を恐れなかったエバです。

知恵は得られず、霊的いのちを失ったのです。

箴言8章の後半には、創世前の夜の神様と共に存在した『わたし』が登場します。

その『わたし』こそ、夜の神様から来られるキリスト(イエス様、再臨主お父様)です。

キリストである『わたし』はこう言います。

箴言8.35 【なぜなら、わたしを見いだす者は、いのちを見いだし、主から恵みをいただくからだ。】

亨進牧師が、キリストが必要ですと言われる理由がここにあります。

わきまえを知る者となり、霊的いのちを見いだすために、私たちにはキリストが必要なのです。