【今朝のレーマ】2022年6月15日(水)
イザヤ書 51.21
それゆえ、さあ、これを聞け。
悩んでいる者、酔ってはいても、酒のせいではない者よ。
【追記】
酒のせいでなく酔う者とは、なんでしょうか。
主の手から、憤りの杯を飲み、よろめかす大杯を飲み干した(17節)とあります。
憤りの杯を飲み干したがゆえに聖地エルサレムを失い、この世のバビロンにおいて酔ったような状態になる者のことです。
神様は、この世(バビロン)にあるイスラエルに、『さめよ、さめよ、立ち上がれ(17節)』と励まします。
【永遠】か【今の時(刹那)】かの選択です。
考えてみましょう。人間を創られた神様は永遠の方です。
それゆえに、創られた人間の本心が求めるもの(真理・善・美)は、永遠です。
一方、刹那に囚われれば(バビロン捕囚)、永遠(真善美)を忘れます。
しかし、人間の本心はそれでは満足しません。
本心が満足しないのですから、ストレスや不安を抱えて本人も訳知らずに悩む者になります。
さらに悪いことには、悩みを一時忘れるために更に刹那に酔おうとすることです。これには救いの出口がありません。
日々のレーマにおける主の声に耳を傾けましょう。
【それゆえ、さあ、これを聞け。】
【悩んでいる者、酔ってはいても、酒のせいではない者よ。】