行いを悔い改めないものへ

【今朝のレーマ】2022年6月14日(火)

エレミア書 15.7

わたしはこの国の町囲みのうちで、熊手で彼らを追い散らし、彼らの子を失わせ、わたしの民を滅ぼした。

彼らがその行いを悔い改めなかったからだ。

【追記】

彼らが悔い改めない行いとは、偶像崇拝のことです。

神様がエレミアに語ったバビロン捕囚の時におこることです。

ここでは、民を滅ぼす恐ろしい神様のように書かれています。

しかし、現実のバビロン捕囚は神様がするわけではありません。

バビロンの軍勢が戦争でこのことをします。全知全能の神様をもってもこれに干渉できないのです。

原理講論のモーセ路程は、干渉できない神様をこう教えています。
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【彼らが金の子牛の偶像をつくった行動に対しては、何らの干渉もされなかった】

【ただ、その結果だけを御覧になって、主管された】

【彼ら自身が、独自的に歩まなければならない責任分担であった】
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旧約の神様は恐ろしいと感じると、新約の愛の神様と分離して分からなくなります。

日々のレーマの言葉は、親なる神様が、自分の子を見殺しにしなければならないと言う場面だと思って読んでください。

そこに見えてくるのは。嘆きの神様なのです。悲しみの神様なのです。

そして、今はどんな時でしょうか。

家庭連合では、神ならぬ者による女神信仰(偶像崇拝)が行われているときです。

その咎ははかりしれません。それは亨進牧師がたびたび言われることです。

さらに、私たち自身も振り返りましょう。

私たちは、神ならぬものをそうと知らずに崇拝していないでしょうか。