主を求めるたましいに

【今朝のレーマ】
2022年6月12日(日)

哀歌 3.25

主はいつくしみ深い。主を待ち望む者、主を求めるたましいに。

【追記】

このレーマの言葉だけを読むと、たぶん「そうだよね」だけで軽く終わってしまうでしょう。

いいえ、哀歌3章で語り手が伝えたい内容はもっと深いのです。

始まりはこうです。

【私は主の激しい怒りのむちを受けて悩みに会った者。】

【私が助けを求めて叫んでも、主は私の祈りを聞き入れず、】

【主は、私の道をかき乱し、私を耕さず、私を荒れすたれさせた。】

語り手は、主によって苦難を受けたと感じていますね。ただ、語り手にはその理由が分かりません。

苦難の理由が分からないとき、私たちはさらに苦難するでしょう。なぜなんだと。

しかし、そこから語り手は大切なことに気がつくのです。

【私たちが滅びうせなかったのは、主の恵みによる。主のあわれみは尽きないからだ。】

【それは朝ごとに新しい。「あなたの真実は力強い。】

苦難を受けても滅んでいない自分に気がついたのです。朝ごとに新しい自分になっていると。

語り手は、それこそが主の恵み,哀れみであったと思えたのです。それは幸せのきっかけになります。

さらに、語り手は、主への感謝から、過去の自分を振り返って、このように言えるようになりました。

【人が、若い時に、くびきを負うのは良い。】

過去の苦難は、今の自分を成長させた。日本でも言いますね。「若いときの苦労は買ってでもしろ」と。

語り手には、なぜ主が苦難を与えたか半分の理由が分かったのでした。

私たちを強くするためです。

もう半分は、分かりますか。

それは、原理で言うところの蕩減条件です。

サタンが私たちを支配下においているため、本当の親である神様は、蕩減条件がないと助けることができないという内容です。

これで、語り手が苦難を受けた理由の全部が分かります。

そこが理解できたら、日々のレーマの聖句をもう一度読んでみてください。

【主はいつくしみ深い。主を待ち望む者、主を求めるたましいに。】