この人こそ来たるべきエリヤなのです

【日々のレーマ】

マタイの福音書,11章14節より
あなたがたに受け入れる思いがあるなら、この人こそ来たるべきエリヤなのです。

【追記】

イエス様は、洗礼者ヨハネの使命を、次のように言いました。

この人こそ、『見よ、わたしはわたしの使いをあなたの前に遣わす。彼は、あなたの前にあなたの道を備える』と書かれているその人です。(マタイ伝,11章10節より)

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洗礼者ヨハネは、祭司としての尊い家に生まれ、荒野で修行を積み重ね、当代一の聖人として人々が認めていたのです。

もし、聖人である洗礼者ヨハネが、最後までイエス様に従い、イエス様をキリストと証明したなら、心ある多くの人は、イエス様をキリストとして受け入れたでしょう。

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確かに、洗礼者ヨハネは、最初のときこそ、聖霊に満たされたイエス様を証しました。

しかし、洗礼者ヨハネは、せっかく出会ったイエス様と袂を分かち、別の道に行ってしまいました。

別の道に進むにしたがって、聖霊によって確信させられたはずのイエス様が、誰なのか信じられなくなります。

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そうして、洗礼者ヨハネの取った行動がこうでした。

牢獄でキリストのみわざについて聞いたヨハネは、自分の弟子たちを通じてイエスにこう言い送った。「おいでになるはずの方はあなたですか。それとも、別の方を待つべきでしょうか。」(マタイ伝,11章3節より)

ここに、イエス様が誰なのか分からなくなったという、洗礼者ヨハネの現実が、明らかです。

一番弟子ペテロが、イエス様をキリストとはっきり宣言したことと、まさに反対の行動です。

人によっては、ここでの洗礼者ヨハネは、謙虚にたずねているように見えるでしょう。

しかし、それは、ヨハネ自身の【キリストの証しびと】としての責任、すなわち神様から与えられていた使命を、放棄してしまったに等しいのです。

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それゆえに、イエス様は、洗礼者ヨハネの失敗を憐れみ、人々に対してこう宣告せざるをえなかったのです。

まことに、あなたがたに言います。女から生まれた者の中で、バプテスマのヨハネより偉大な者は現れませんでした。しかし、天の御国で一番小さい者でさえ、彼より偉大です。(マタイ伝,11章11節より)

洗礼者ヨハネは、本来であればイエス様の一番弟子となるべき人です。

そして、イエス様と共に天に御国に立つ人でした。

しかし、今このときの洗礼者ヨハネには、天の御国に入る資格がないと、イエス様は宣告されたのです。

洗礼者ヨハネを、当代一の聖人と認める人は多いでしょう。しかし、それでは、洗礼者ヨハネに対する、イエス様の憐れみと深い失望を知ることはできないのです。