キリストは預言者と違う

【日々のレーマ】

ヘブル人への手紙,1章3節より
御子は神の栄光の輝き、また神の本質の完全な現れであり、その力あるみことばによって、万物を保っておられます。御子は罪のきよめを成し遂げ、いと高き所で、大いなるかたの右の座に着かれました。

【追記】

ヘブル書の始まりは、こうです。

神は昔、預言者たちによって、多くの部分に分け、多くの方法で先祖たちに語られましたが、(ヘブル書,1章1節より)

ここでの昔とは、キリストであるイエス様が地上に来られるより以前、すなわち旧約の時代のことです。

その昔は、預言者の時代でした。

神様は、数々の預言者を通して、【多くの部分】に分けて、【多くの方法】で先祖たちに語られたのです。

全体を一遍にではなく、多くの部分に分けてとは、どういうことでしょう。

個々の時代の預言者ごとに、その状況に合わせて、神様の本質の一部が少しずつ現れたというわけです。

もちろん、神様の本質は、たとえそれが断片化された一部であろうと、その偉大な価値は損なわれません。

しかし、どんなに大預言者であっても、神様すべてを現した預言者はいません。

その証拠に、正統な預言者において、自分を神様の全てと並べた預言者は一人もいません。

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一方、イエス様が地上に来られた以降、それがどう変わったというのでしょう。

それについて、ヘブル書の聖句は、こう続きます。

この終わりの時には、御子にあって私たちに語られました。神は御子を万物の相続者と定め、御子によって世界を造られました。(ヘブル書,1章2節より)

終わりの時とは、御子キリストであるイエス様が立たれて、神様の創造目的である神の王国が近づいて成就する時代です。

このように、イエス様より以降は、預言者の時代ではなく、キリストの時代なのです。

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ここで、キリストの時代とは、どういう時代でしょうか。

そのことは、ヘブル書に続く聖句において、次のように明らかにされます。

御子は神の栄光の輝き、また神の本質の完全な現れであり、その力あるみことばによって万物を保っておられます。御子は罪のきよめを成し遂げ、いと高き所で、大いなる方の右の座に着かれました。(ヘブル書,1章3節より)

このように、キリストの時代とは、キリストを通して、神様の本質、すなわち神様ご自身が現される時代ということです。

それゆえに、キリストたる御子は、それまでの預言者とは異なります。

キリストは、神様100%の御方なのです。