神由来の文化を守るためのしるし

【日々のレーマ】

レビ記,19章27節
あなたがたの頭のもみあげを剃り落としてはならない。ひげの両隅を損なってはならない。

【追記】

主は、モーセに「もみあげを剃り落すな」という戒めを与えました。

その戒めの意味を考えましょう。

レビ記の時代、神ならぬ偶像を崇拝する異教には、もみあげを剃り上げる習慣や、儀式があったようです。

そのため、偶像を崇拝する刈り上げ派の民と、モーセの民を、区別する必要がありました。

そこで、「もみあげを剃り落とすな」、という戒めです。

この戒めを守れば、刈り上げ派の神ならぬ民と、もみあげをモジャモジャに蓄えたモーセの民とは、遠目にも区別されます。

その結果、お互いの間に見た目の距離ができて、双方の文化が交わることを、うまく避けることができたでしょう。

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このように、もみあげの戒めには、人々を間違った道から遠ざけるという意味がありました。

このことからも、律法が、いずれ来られるキリストへと人々を導くための養育係であったことがわかります。(ガラテヤ書,3章24節を参照)

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だからといって、今から、現代人が、もみあげを伸ばす必要はありません。

今の時代において、もみあげも、刈り上げも、沢山のヘアスタイルの中の一つの選択です。

刈り上げにしているからといって、神ならぬ異教の文化とは言えません。

そのため、冒頭の「もみあげを剃らない」という戒めは、一部の方々の自由選択を除いて、今は厳格に守る必要がないと考えられています。

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そうなると、冒頭の戒めは、現代においてどのような意味をもつでしょうか。

それは、内面において神ならぬ文化と交わらないために、見た目においても正しいしるしを身に着けようということでしょう。

内面で交わらないと決意したとしても、神ならぬ文化が接近すればその限りではないので、見た目の区別も必要です。

神ならぬ文化との訣別を示す、外的な意志表示ともいえます。

その意思表示のための正しいしるしが何かは、神様に尋ねて各自が考える必要があります。

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皆様も、冒頭の戒めの意味について、本心の自由に従って考えてみましょう。