【日々のレーマ】
ヨハネの黙示録,17章6節
私は、この女が聖徒たちの血とイエスの証人たちの血に酔っているのを見た。私はこの女を見て、非常に驚いた。
【追記】
ここで注目する点は、使徒ヨハネが、女を見て非常に驚いている点です。
・・・
順番に考えます。
まず、「女が聖徒たちの血とイエスの証人たちの血に酔っている」とは、どういう状態でしょうか。
【酔う】の原語であるギリシャ語のメスウーサンは、ほどほどに酔った状態ではありません。酩酊するまで酔った状態です。
酩酊とは、脳が軽く麻痺して、自己抑制や判断力が低下し、誇大妄想的気分になった状態です。
本来、自分が何者であったか、それを見失った状態でもあります。
・・・
次に、【血に酔っている】というところです。
【血に酔う】との日本語表現では、殺人鬼のイメージになります。そうなると、キリスト者を大量殺人する者、すなわちローマ皇帝ネロのような大迫害者のイメージになります。
しかし、もう少し丁寧に、短絡せずに読みましょう。
【血を飲んで酩酊している】と読んでみます。
相手の血を飲む、すなわち相手を殺さずに、血の一滴まで搾取するイメージ、つまり相手を奴隷として支配するというイメージになります。
ここで登場する女は、キリスト者を奴隷にして支配する者、すなわち、主人ではないのに、主人と偽って搾取する者であったと、解釈できます。
・・・
そして、大切な点は、使徒ヨハネが、その女を見て非常に驚いている点です。
ここからは、私見になりますが・・
使徒ヨハネが非常に驚いているということは、ヨハネ自身が、その女の顔を、もともと知っていた可能性があります。
まさか、そのようなことをする女とは・・
使徒ヨハネにとって、よほど予想外の女であったから、【非常に驚いた】となったのではないでしょうか。
・・・
外伝などの伝承になりますが、マグダラのマリアが、イエス様の妻として、信徒たちに崇められていたという話があります。
しかし、イエス様ご自身の言葉として、イエス様が昇天された後の後継者として、マグダラのマリアを指名したという記録はありません。
また、そのようなマグダラのマリアの教えは、使徒たちの書簡とは違って、歴史から消えています。
そこから、マグダラのマリアの教えは、使徒ペテロたちによって最終的に否定されたものと思われます。
・・・
もう一度、冒頭の聖句を振り返ります。
なぜ、使徒ヨハネが、女を見て非常に驚いたのか、その理由を考えましょう。
私は、この女が聖徒たちの血とイエスの証人たちの血に酔っているのを見た。私はこの女を見て、非常に驚いた。(黙示録,17章6節より)