【日々のレーマ】
イザヤ書,61章1節より
神である主の霊がわたしの上にある。貧しい人に良い知らせを伝えるため、心の傷ついた者を癒やすため、主はわたしに油を注ぎ、わたしを遣わされた。捕らわれ人には解放を、囚人には釈放を告げ、
【追記】
冒頭のイザヤ書の預言は、キリストによって地上にもたらされる祝福を約束します。
ここでの『わたし』は、預言しているイザヤのことではありません。
主によって油が注がれた特別な方ですから、キリストご自身のことです。
すなわち、神様と共に天におられるキリストが、キリストご自身の言葉で、預言者イザヤに臨んでいるとの解釈になります。
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このキリストご自身の言葉によれば、キリストの上には、神である主の霊が宿っています。
これこそ、キリストの内に、天地創造の神様がご臨在されていることのしるしです。
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そうして、キリストたる御方は、地上の人々に対して、神の王国に関する福音の数々を伝えます。
特に、この福音は、報われずに貧しくいる人に対して、良い知らせとなります。
さらに、キリストは、世間から虐げられ、心が傷ついた者を、癒やしてくださいます。
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一方、罪人のためには、こう言われます。
捕らわれ人には解放を、囚人には釈放を告げ、(イザヤ書,61章1節より)
罪人は、罪ゆえに苦しんでいます。良心の呵責です。
その罪を忘れるため、罪人同士でお互いの欠点を批判し合うでしょう。
しかし、罪人同士で足を引っ張れば、そこから前に進めなくなります。一種の呪縛です。
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このように罪の奴隷になった人のために、キリストは来られます。
もし、キリストに向き合うなら、キリストは、人間には解決できない神に対する罪を整理し、精算されるのです。
そうして、アダム以来、罪の奴隷になっていた人々を、解放・釈放へと導いてくださいます。