傾聴ということ

【日々のレーマ】

ルカの福音書,6章40節
弟子は師以上の者ではありません。しかし、だれでも十分に訓練を受ければ、自分の師のようにはなります。

【追記】

私たちサンクチュアリ教会には、聖霊大学という聖書に関する勉強会があります。

参加は強制ではなく、自由意志です。

およそ、3ヶ月の短期のクラスになります。

そのクラスに参加する際の約束は、全員の声を、敬意をもって傾聴するということです。

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一応、クラスにはリーダーがいますが、それはコーチという役割になるでしょう。

コーチは、正解(魚)を与えません。正解へたどり着く道(釣り方)をコーチします。

クラスで学ぶ者には、教わるのではなく、共に考える責任もあります。

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私たちは、キリストの身の丈を超えません。

もし超えたら、偽キリストになります。

イエス様がこう言われる通りです。

弟子は師以上の者ではありません。しかし、だれでも十分に訓練を受ければ、自分の師のようにはなります。(ルカ伝、6章40節)

ここでの【師】は、イエス様が言われる師ですから、キリストです。

弟子は、そのほかの全員です。

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自分もキリスト未満であるし、誰もがキリスト未満であるから、クラスでは全員の声を傾聴します。

そこでは、キリストだけが正解を知っていると考えましょう。

そうすれば、小さな違いは気にならず、お互いに敬意をもって話し、敬意をもって聞くことができます。