【日々のレーマ】
マタイの福音書,7章7節
求めなさい。そうすれば与えられます。探しなさい。そうすれば見出します。たたきなさい。そうすれば開かれます。
【追記】
背理法を使って、神の存在を証明するケースを考えていました。
背理法を正しく使うには、先に排中律が成り立つかを考える必要があります。
排中律:「神は存在するか、存在しないかのどちらかである」は正しい。
この排中律から、神が存在しないと仮定して、そこで矛盾を探します。
そして、矛盾が生じれば、あとは「神は存在する」と証明できるわけです。
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しかし、現代物理の量子論には、「重ね合わせ」という状態があります。
シュレディンガ先生の猫で、有名な話です。
そこで、「神は存在する」と「神は存在しない」が重ね合わせの状態も、現代の人間は考えることができます。
そうすると、その「重ね合わせの状態」から・・・
Aさんが「神は存在する」と実感(観測)すると、そこから、Aさんにとって世界は神様と共に生きる世界になります。
一方、Bさんが「神は存在しない」と実感(観測)すると、そこから、Bさんにとって世界は神様がいない世界になります。
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冒頭の聖句で、イエス様は、「求めよ、さらば与えられん」と言われました。
Aさんは、神様を求めたので、神様と共に生きる世界が与えられました。
Bさんは、神様を求めなかったので、神様がいない世界が与えられました。
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有名な哲学者は、神様が存在するか・存在しないか・を考えたそうです。
そして、その深遠な思考の末に、こう結論しました。
「もし、神様がいないと思って人生を送って、死んだ後に神様が存在するとわかったら大変だ。だから、人は生きている内に、神様は存在すると結論するべきだ。」
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人が神様を求めなければ、神様が存在すると死ぬまで分からず、神様がいない世界に生きる人生になるかもしれません。
ですから、人は、神様を求めましょう。
神様を求めたときから、人は神様と共に生きる人生に変わることができます。