【日々のレーマ】
ルカの福音書,6章40節
弟子は師以上の者ではありません。しかし、だれでも十分に訓練を受ければ、自分の師のようにはなります。
【追記】
一般に、弟子は、自分が教わった師匠を超えてこそ、その道は発展します。
また、弟子にとって、師匠を超えることが、師匠への恩返しとも言います。
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では、冒頭の『弟子は師以上の者ではない』とは、どういう意味でしょう。
この言葉を誰が言われたのか、、そこがポイントです。
イエス様が、キリストとして、キリストの弟子たちに対して、時と場所を超えて言われたと考えましょう。
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私たちは、弟子であって、キリストの身の丈を超えません。
万一にも超えれば、それは反キリストです。
キリストという唯一の存在のみが、父である神様の本体を知るからです。
その神様の本体は、天地を創造される前の神様、すなわち光あれと言われる前の、夜の神様になります。
イエス様の内なるキリストは、その夜の神様と共に、天地創造の前から存在されたのです。
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一方、私たちは、天地創造のその結果であって、創造された天地を通して、また聖霊を通して知ることのできる神様どまりです。
すなわち、イエス様が『弟子は師匠を超えない』と言われた通りなのです。
お一人お一人の人間は、命の道であるキリストを通してしか、神様の本体を知ることはできません。
そう考えると、神様の真理とこの世の最適解は、私たちを超えたところであるキリストにあるのです。
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物理学の偉人ニュートンは、この世界を述懐して、こう言いました。
・私は海辺で遊んでいる少年のようである。
・時折、普通よりもなめらかな小石や、かわいい貝殻を見つけて夢中になっている。
・真理の大海原は、全てが未発見のまま、私の目の前に広がっているというのに。
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私たちは、キリストにあって、真理とこの世の最適解を少しずつ見つけては、喜んでいる学徒なのです。
正解が自分になく、キリストに正解があると知れば、もっと広大な世界を知ることになります。