【日々のレーマ】
イザヤ書,30章8節
今、行って、彼らの前でこれを板に書き、書物にこれを記し、後の日のために永遠の証しとせよ。
【追記】
神様は、預言者イザヤを王たちの前に急がせ、彼らの前で板に書けと言われます。
何があったのでしょう。
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南ユダの王は、迫りくるバビロン軍の脅威を恐れて、エジプトに助けを求めたのです。
それは、王が、神の預言者の声を封じて、偽預言者たちの都合よい言葉を信じたからでした。
しかし、エジプトの助けは空しく、まったく当てにはできません。(イザヤ書,30章7節を参照)
このように、未来は、神ならぬ人間が思い描くだけの綺麗ごととは異なります。
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現代に置き換えるなら、ポリコレの台頭なども、形ばかりの綺麗ごとでしょう。
個人の思い描く綺麗ごとから発して、社会を不義と決めつけます。
そのポリコレの顛末は、個人と個人を分断する偽りの調和となります。
このような綺麗ごとの幻は、神様の愛を偽る詐欺に等しいでしょう。
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神様が生きて働かれる人間同士の調和の中にあってこそ、生きた未来が生まれるのです。
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神様は、イザヤを通して、エルサレムの崩壊を告げた後、板にこう書かせます。
たとえ主があなたがたに苦しみのパンと虐げの水を与えても、あなたを教える方はもう隠れることはなく、あなたの目はあなたを教える方を見続ける。(イザヤ書,30章20節より)
このように、逆らう者が今分からなくても、先の日に、神様の忠告に従う人々への証しとして永遠に残すのです。