【日々のレーマ】
コリント人への手紙第一,9章19節
私はだれに対しても自由ですが、より多くの人を獲得するために、すべての人の奴隷になりました。
【追記】
コリント第1の第8章において、パウロは次のように言っています。
食物が私の兄弟をつまずかせるのなら、兄弟をつまずかせないために、私は今後、決して肉を食べません。(コリント第一,8章13節より)
先に、神様は、ペテロの幻を通して、食事のことで異邦人をさげすんではいけないことを示しています。
そのため、パウロが肉を食べるか否かは、パウロの自由であって、信仰の上から、とやかく言う問題ではありません。
しかし、初期キリスト教会においては、先祖の古い習慣から、肉を食べることにつまづく人がいたことも事実です。
そのため、パウロは、信仰の幼い兄弟をつまづかせないよう、肉を食べないと言ったのです。
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教会に来てつまづく人で、神様につまづいたという人は少ないはずです。
つまづきの一番多い原因は、人間の好き嫌いによるところでしょう。
もし、私が人間の好き嫌いでつまづくなら、それは私の信仰が幼く、神様の大きな視点に立てないがゆえです。
信仰の幼さゆえですから、成長の時間が必要です。
いずれ信仰が成長していけば、本人が悟って解決できるでしょう。
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しかし、問題は、その成長期間をこらえられずに、教会を去る人々のことです。
そこで、パウロは、次のように言っています。
私はだれに対しても自由ですが、より多くの人を獲得するために、すべての人の奴隷になりました。(コリント第一,9章19節より)
パウロの言葉の背景には、神様から降りる愛があります。
信仰の幼い者への愛ゆえに、信仰の自由において、あえてすべての人の奴隷になったと、パウロは告白します。