【日々のレーマ】
ルカの福音書,11章24節
汚れた霊は人から出て行くと、水のない地をさまよって休み場を探します。でも見つからず、『出て来た自分の家に帰ろう』と言います。
【追記】
イエス様は、人々から悪霊を追い出しました。
そうやって追い出された悪霊は、その後にどうなるでしょう。
イエス様は、冒頭の聖句において、そのことを教えています。
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汚れた霊、すなわち悪霊は、人から出ても、行くあてがなく、水のない地をさまよいます。
ここで、「水がない」の原語アヌドロゥンは、ペテロの手紙第二の第2章において、本能に支配されて自滅する者が行く、深い闇のたとえに登場します。
また、「水」は、たびたび聖書の中で「いのちの水」として登場し、神様やキリストから流れ出て人々を活かす力にたとえられます。
このように考えると、「水のない地」をさまようとは、神様から遠い場所にあって、自分がなぜ存在するのか分からず、孤独にさまよう状況といえるでしょう。
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悪霊は、休み場を探し続けますが、けしてやすまることはありません。
神の被造物として本来たつべき、自分の自由と責任を知らないためです。
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そこで、悪霊は、出て来た自分の家に帰ることになります。
出て来た家とは、悪霊が棲家としていた人間です。
帰って見ると、家は掃除されてきちんと片付いています。(ルカ伝,11章25節より)
それはそうです。イエス様が悪霊を追い出したのですから、その人の生心は綺麗に片付いたはずです。
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しかし、そこからの顛末は、非常に悪くなります。
イエス様は、その悪い顛末をこう告げます。
そこで出かけて行って、自分よりも悪い、七つのほかの霊を連れて来て、入り込んでそこに住みつきます。そうなると、その人の最後の状態は、初めよりも悪くなるのです。(ルカ伝,11章26節より)
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ここで注目する点は、2つあります。
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まず、一点は、悪なる者の性質についてです。
悪霊は、自分よりも悪い、七つのほかの霊を連れてきます。七倍の復讐にあたるでしょう。
古今東西において、悪なる者は、悪なる仲間を求めます。悪の繁殖です。
しかし、本来は、善を繁殖すべきです。
したがって、人は、相手の悪なる動機を見抜いたら、その悪に相対してはいけません。
相手の中から善なる部分を発見し、そこに対して善なる動機で対しましょう。
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もう一点は、イエス様によって綺麗に片付いたはずの人のその後です。
その人の心は、悪霊が追い出されて、片付きはしても、空き家だったのです。
悪霊が帰ってきたとき、もし心に他の存在が既に宿っていれば、容易には入れなかったはずです。
人の心に宿って、悪霊を退ける他の存在とは、なんでしょう。
イエス様は、同じルカ伝の11章において、こう言われました。
天の父は、ご自分に求める者たちに聖霊を与えてくださいます。(ルカ伝,11章13節より)
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人は、キリストによって悪霊を追い出していただいたなら、天の父に求めて聖霊を与えていただきましょう。