自分の終わりもわきまえたであろうに

【日々のレーマ】

申命記,32章32節
まことに彼らのぶどうの木は、ソドムのぶどうの木から、ゴモラのぶどう畑からのもの。彼らのぶどうは毒ぶどう。その房は苦い。

【追記】

ソドム・ゴモラは、不品行によって道徳が地に落ち、地上から滅んだ町の名前です。

その町の名前を冠するぶどうの木は、毒ぶどうです。

その毒ぶどうから作られた酒は、毒酒になります。

民は、堕落の血で汚されたと知らずに、象徴である毒酒を口にしました。

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冒頭の歌は、モーセによる嘆きの歌の一節です。

神様に従わず、神ならぬ偶像をあがめて作った毒酒のことを嘆いています。

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モーセは、約束の地を前に、民を憐れみます。

そして、長い長い旅路のはてに、次のように嘆きました。

まことに彼らは思慮の欠けた国民、彼らのうちに英知はない。もしも知恵があったなら、彼らはこれを悟ったであろうに。自分の終わりもわきまえたであろうに。(申命記,32章28節から29節より)

自分の終わりをわきまえない者たちの末路です。

嘆き悲しんでいるのは、モーセだけではありません。

荒野の民を導いてこられた、神様が、嘆き悲しまれるのです。

彼らのうちに思慮さえあれば、堕落の血に染まった毒酒を拒否して、聖なるぶどう酒の方を飲んだことでしょう。

羊とヤギに分かれるとは、神様とキリストを思う思慮を持っていたか否か、そのいかんによるのです。