ちりと灰の中で

【日々のレーマ】

ヨブ記、42章3節
知識もなしに摂理をおおい隠す者はだれか

【追記】

ヨブは、誠実で、まっすぐな心を持ち、神を畏れて悪から遠ざかっていました。(ヨブ記、1章1節より)

そのヨブにさえ、神様はこう言われます。

「神の知識もなしに、自分の言い分を述べるものは誰か。」(ヨブ記、38章2節を参照)

ヨブほどの義人が、神様から言われるのです。

およそ他の人も、「自分の言い分を述べている」ことになります。

・・・

人は、信仰の始まりにおいて、神様を知ることで、幼子のように素直になったはずです。

しかし、神様を知る以前の自分の経験が、完全に消えたわけではありません。

歳をとって信仰に慣れるにしたがって、自分の経験を義とする言い分が、信仰に混じって顔を出します。

いわゆる、神を装った自分、という偽善になります。

・・・

そうやって、自分なりの経験を語ってしまうと、その態度をうとむ人を、神様から遠ざける結果になります。

・・・

では、どうしたらよいのでしょうか。

義人ヨブの神様への振り返りが、その答えになります。

その振り返りとは、こうです。

確かに私は、自分の理解できないことを告げてしまいました。(ヨブ記、42章3節より)

神様については、キリストを通してでしか、理解できないことが沢山あります。

まだ知らない神様のことを知って、ヨブは、自分は[ちりと灰の中にある]と、我が身を表現しました。(ヨブ記、42章6節より)

このように、ちりと灰の中にあって、まだ神様を知らないという心の態度に立ってこそ、その人の声に、神様は現れてくださいます。