民の回復と、キリスト預言

【日々のレーマ】

エゼキエル書、34章23節
わたしは、彼らを牧する一人の牧者、わたしのしもべダビデを起こす。彼は彼らを養い、その牧者となる。

【追記】

エゼキエル書34章の前半は、悪い牧者のたとえです。

神の民である羊が、悪い牧者によって弱められる様子が語られます。

その悪い牧者とは、こうだったといいます。

 弱った羊を強めず、病気のものを癒やさず、傷ついたものを介抱せず、追いやられたものを連れ戻さず、失われたものを捜さず、かえって力ずくで、しかも過酷な仕方で彼らを支配した。(エゼキエル書、34章4節より)

そして、良い牧者がいないために、羊たちは山々を散々にさまようことになり、地の全面に散らされます。

そうして、神の民である羊たちの多くは、野の獣の餌食になります。

これが、エゼキエル書が与えられた時代、すなわち、南ユダ王国の没落と、捕囚によって民が困窮した時代と重なります。

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一方、エゼキエル書34章の後半は、そんな弱りきった羊たちのために、かつての強大なダビデ王、すなわち王の王をイメージする、一人の良い牧者が現れることが預言されます。

その牧者こそが、後の世に現れるイエス様です。

神様が、弱りきった神の民に対して、未来の希望を告げるキリスト預言です。

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そのキリスト預言は、多岐にわたりながら、神への道を失った民を、キリストが回復する内容で一貫します。

ここで、その内容を抜粋いたします。

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主であるわたしが彼らの神となり、わたしのしもべダビデが彼らのただ中で君主となる。

わたしは彼らと平和の契約を結び、悪い獣をその地から取り除く。

野の木は実を実らせ、地は産物を生じ、彼らは心安らかに自分たちの土地にいるようになる。

彼らは二度と国々の餌食とならず、その地の獣も彼らを食い殺さない。彼らは安らかに住み、もう彼らを脅かす者はいない。

このとき彼らは、わたしが、彼らとともにいる彼らの神、主であり、彼らイスラエルの家がわたしの民であることを知る。

あなたがたはわたしの羊、わたしの牧場の羊である。あなたがたは人間で、わたしはあなたがたの神である。

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以上です。どうでしょうか。

このようにキリストを喜んで迎える人間の自由意志が果たされるとき、キリストは栄光の王の王として、民を回復することになります。