感動の発露たる聖歌

【日々のレーマ】

ネヘミヤ記12章46節
昔から、ダビデとアサフの時代から、歌い手たちのかしらたちがいて、神への賛美と感謝の歌がささげられた。

【追記】

バビロンから解放された捕囚の民は、エルサレムに順次に帰還します。

しかし、エルサレムの城壁は崩され、門は火で焼かれていました。

ネヘミヤたちによる城壁の修理は、一大事業になります。

・・・

ネヘミヤ記12章は、この城壁が多大な苦労をもって修復され、完成した城壁の奉献式が行われます。(ネヘミヤ記、12章27節を参照)

この奉献式では、シンバルと、琴と、竪琴に合わせて、神への賛美と感謝の歌が捧げられます。

城壁の上に立って、祝う彼らの歌声は、国中に響き渡ったことでしょう。

・・・

私たちは、礼拝に際して、聖歌を賛美します。

それは、礼拝に参加する者の心情を整え、心を一つにするなどの様々な必要からです。

しかし、礼拝における聖歌が、毎度のことになれば、儀礼的なものになってしまいます。

儀礼としての聖歌になれば、私たちの感情とは無関係です。感動はありません。

・・・

ネヘミヤ記12章の記述は、エルサレムの城壁完成、すなわち神の王国が実体化することに際し、人々にこみ上げる感動が溢れています。

その感動こそが、神様に対する賛美や感謝として、聖歌の発露になるのです。

・・・

私たちの聖歌斉唱も、儀礼だけで終わらせては、もったいないです。

神様に対する賛美や感謝の発露として、感動をもって聖歌を歌いましょう。