【本日のレーマ】
ルカの福音書6章46節
なぜあなたがたは、わたしを『主よ、主よ』と呼びながら、わたしの言うことを行わないのですか。
【追記】
イエス様は、《木はそれぞれ、その実によって分かります》と言われます。(ルカ6章44節を参照)
では、キリストのもとに来た人は、キリストの実として、キリストに似た者に必ずなったでしょうか。
いいえ、イエス様は、キリストのもとに来た人が、必ずキリストに似るとは、言われません。
逆に、イエス様は、「主よ、主よ」とイエス様のことを呼ぶ者が、なぜキリストの言うことを行わないかと嘆かれています。(ルカ6章46節を参照)
イエス様のもとに来た人が、キリストに似て、良い実になる保証はないという話です。
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それでは、キリストのことばを聞いた人が、それをちゃんと行えば、どうなるでしょうか。
イエス様は、こうなると教えています。
その人は、地面を深く掘り下げ、岩の上に土台を据えて、家を建てた人に似ています。洪水になり、川の水がその家に押し寄せても、しっかり建てられていたので、びくともしませんでした。(ルカ、6章48節より)
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その逆に、キリストのことばを聞くには聞いたが、ちゃんと行わなかったら、どうなるでしょうか。
イエス様は、こうなると言われています。
聞いても行わない人は、土台なしで地面に家を建てた人に似ています。川の水が押し寄せると、家はすぐに倒れてしまい、その壊れ方はひどいものでした。(ルカ、6章48節より)
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この違いは、キリストにあるのではなく、その人にあります。
イエス様は《木はそれぞれ、その実によって分かる》と言われましたが、
それは、その木の接ぎ木が根付いて、ちゃんと実が実った場合の話です。
ですから、悪い実がなったからといって、そこから大元の木を直接判断することはできません。
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イエス様の当時、イエス様の周りには罪人が多く集まったのですから、なおさらのことでした。
周囲の罪人をみて判断するのではなく、キリストそれ自体を見て判断することが大切です。