律法の本体はキリストにあります

【本日のレーマ】

コロサイ人への手紙2章16節~17節
こういうわけですから、食べ物と飲み物について、あるいは祭りや新月や安息日のことで、だれかがあなたがたを批判することがあってはなりません。これらは、来たるべきものの影であって、本体はキリストにあります。

【追記】

ユダヤ教、特にパリサイ派から来た方は、律法を守ることに熱心でした。

そのために、彼らは、初期キリスト教会にあって、律法を守るため、自分自身に大変厳しかったのです。

さらに、彼らの一部は、律法を守らない他人に対しても、とても厳しかったのです。

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しかし、そんなことのために、神様は、律法をユダヤ人に与えたのではありません。

律法本来の目的は、ユダヤ人を生活や信仰上の悪から遠ざけて、キリストに導くという養育係の役割でした。(ガラテヤ書、3章24節を参照)

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そのため、キリストに導く律法は、来るべきキリストの影なのです。

その本体であるキリストをただしく迎えたならば、神様が律法を与えた目的が成就するのです。