自分の力で罪を蕩減したと思った人の末路

【本日のレーマ】

マタイの福音書18章34節
こうして、主君は怒って、負債をすべて返すまで彼を獄吏たちに引き渡した。

【追記】

イエス様のたとえの続きです。

王は、家来の1万タラントの負債をあわれんで、負債を免除しました。

・・・

その家来は、100デナリを貸していた同僚に、会います。

すると、家来は、同僚の借金を赦さず、同僚を牢に入れます。

・・・

王は、そのことを聞いて怒ります。

王は、1万タラントの負債を返し終わるまで、家来を獄吏に渡して拷問を与えます。

・・・

このイエス様のお話は、この世から借金を無かったことに(?)などの話ではありません。

神の王国における、罪の蕩減・赦しを教えるたとえです。

・・・

まず、負債の額に注目しましょう。

家来と同僚の間の負債の額は、100デナリでした。

一方、王と家来の間の負債の額は、1万タラントでした。

1万タラントは、100デナリのなんと60万倍にもなります。

このことは、人間が神様に与えた心の傷が、人が人から負う心の傷に比べて、桁違いに深いことを示します。

・・・

それでも、神様は、人を赦し、人の罪を蕩減してくださいます。

その神様の憐れみと寛容の愛に人が感謝するなら、どうでしょう。

その人は神の愛と同化して、隣人に対して憐れみと寛容の愛を示すことができるように生まれ変わります。

ここに、イエス様がこのたとえを《神の王国のたとえ》といわれた理由があります。

神様の愛に同化して、隣人に対して憐れみと寛容の愛を与えることが、神の王国を作り出すことだからです。

・・・

気をつけることは、自分の力で罪を蕩減したと思ってしまうことです。

そう思えば、人は、隣人に対して、自分のように罪を蕩減しろと厳しくなるでしょう。

イエス様のたとえは、そのことが神の王国を遠ざける行為であることも、同時に教えているのです。