良心は立ち帰るための羅針盤

【本日のレーマ】

イザヤ書30章10節
彼らは予見者に『見るな』と言い、先見者にはこう言う。『われわれについて正しいことを幻で見るな。われわれに心地よいことを語り、だましごとを預言せよ。

【追記】

イザヤ書30章では、南ユダは、アッシリアの勢力に対抗して自国を守るため、エジプトと同盟を結ぼうとします。

そのことで、主は、預言者イザヤに臨み、南ユダを、反逆の民、嘘つきの子らと糾弾します。

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なぜ、自国を守ろうとした南ユダの行為が、神様への反逆となったのでしょうか。

神様は、その理由をこういいます。

彼らははかりごとをめぐらすが、わたしによらず、
同盟を結ぶが、わたしの霊によらず、
罪に罪を増し加えるばかりだ。(イザヤ書30章1節より)

ここから、南ユダの国は、神様によらずに、自分たちの事情から、都合良くはかりごとをしていた様子が伺えます。

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その南ユダの過ちに力を貸したのが、冒頭に登場する、予見者や先見者になります。

彼らも、預言者イザヤと同様に、神様のための予見者であり、先見者だったはずです。

しかし、彼らは、神様が分からなくなって、人間を忖度することを選びます。

それを聞く人々の心から、だましごとで神様を消し去ることになります。

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そんなとき、預言者イザヤに臨んだ主の声は、聞くものの良心に働いて、立ち帰るための羅針盤になったでしょう。