栄光在主の気持ちになれば

【本日のレーマ】

詩篇115編1節より
主よ、私たちにではなく、ただあなたの御名に、栄光を帰してください。あなたの恵みとまことのゆえに。

【追記】

栄光を受けたとき、その栄光を神様に感謝して帰す気持ちは、栄光在主になります。

神様に帰した栄光は無くなることはなく、天に永遠の宝として積まれます。

地上で受けた栄光がたとえ過ぎ去っても、一度積んだ天の宝は失なわれません。

・・・

一方、受けた栄光すべてを自分に帰してしまえば、そのときに地上で十分な報いを受けたことになります。

地上で受けた報いは、その人をいっとき傲慢にします。

さらに、地上で受けた報いは、かたちあるもののため、いずれは失うか奪われるかもしれません。

そのことをおそれれば、それが偶像崇拝となって、その人の心を不自由にします。

・・・

マタイの福音書6章21節には、こうあります。

あなたの宝のあるところ、そこにあなたの心もあるのです。

・・・

人が、栄光在主の気持ちを意識すれば、その人の心は主にあって、より自由な本来の自分になれます。