【本日のレーマ】
マルコの福音書9章12節より
イエスは彼らに言われた。「エリヤがまず来て、すべてを立て直すのです。それではどうして、人の子について、多くの苦しみを受け、蔑まれると書いてあるのですか。
【追記】
イエス様は、洗礼者ヨハネこそが、預言者エリヤの再臨であると言っています。
弟子たちも、そのことに気付いています。(マタイ17章13節を参照)
マラキ書4章5節によれば、神様は、再臨したエリヤによって、父の心を子に向けさせ、子の心をその父に向けさせることを、計画していました。
すなわち、洗礼者ヨハネには、主の道を直くして、万事を元通りに改めて、すべてを立て直す使命が、あったのです。
それは、イエス様が、人々から苦しみや蔑みを受けずに、地上において神の王国の福音を完成するためでした。
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もしも、洗礼者ヨハネが、その使命を果たしていれば、イエス様は人々から多くの苦しみや蔑みを受けることはありませんでした。
しかし、イエス様は、《それではどうして、人の子について、多くの苦しみを受け、蔑まれると書いてあるのですか》と、矛盾を指摘されたのでしょうか。
この聖句で、イエス様は、洗礼者ヨハネがエリヤの使命に失敗したという厳しい現実を、背理法という論理証明によって逆説的に指摘したのです。
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神様が立てたご計画(予定)は、絶対であるがゆえに、その通りに必ず成就します。
その一方で、神の計画を託される人間は、その行動が信仰(自由意志)に任されます。
そのため、人間が神様の計画通りに行動するとは限らず、途中で失敗する残念なケースがあります。
神様は、それでも人間を救済するという強い意志ゆえに、ご計画のみこころをそのままに、計画成就の時期を延長することになります。