私の愛する息子を送ろう

【本日のレーマ】

ルカの福音書20章13節
ぶどう園の主人は言った。『どうしようか。そうだ、私の愛する息子を送ろう。この子なら、きっと敬ってくれるだろう。』

【追記】

悪しき農夫のたとえです。

ぶどう園の主人は、ぶどう園を造って、農夫たちに預けて長い旅に出ます。

そのあいだ、主人は、収穫を納めさせようと、しもべを何度も遣わします。

しかし、農夫たちは、そのたびにしもべの声を聞かず、なぶりものにして手ぶらで返します。

・・・

農夫たちは、ぶどう園をどう思っていたでしょう。

ぶどう園は、主人が造ったもので、その主人から預かったものです。

農夫たちが、《ぶどう園は主人からの預かりもの》という意識にたてば、ぶどう園は主人意識で正しく管理され、収穫は本来何倍にもなっていたでしょう。

なぜなら、ぶどう園のことは、造った主人が一番詳しく、主人が創造したときの目的に尋ねながら、ぶどう園を管理することが一番正しいことだからです。

しかし、農夫たちが、《ぶどう園は自分で造った自分のもの》と思う限り、ぶどう園は個人個人の勝手に扱われます。

その結果、ぶどう園は、主人の本来の目的を失い、収穫はわずかになります。

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主人意識とは、自分のものという意識ではなく、創られた神様からの大切な預かりものという意識です。

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そこで、ぶどう園の主人は、《どうしようか》と考えます。

主人は、しもべではなく、愛する我が子を送ることにします。

主の子たる身分のキリストを指します。

そのキリストに対する、地上の人々の反応はどうだったでしょうか。

それは聖書によって、現代の私たちに明らかにされています。