わたしは決して悪しき者の死を喜ばない

【本日のレーマ】

エゼキエル書33章11節より
わたしは決して悪しき者の死を喜ばない。悪しき者がその道から立ち返り、生きることを喜ぶ。

【追記】

聖書(特に旧約聖書)を読むと、悪しき者を断ずる預言が最終決定のように感じてしまいます。

確かに、その預言が示す通りに、イスラエルが国を失う歴史を繰り返してきたからです。

しかし、最終決定だったと感じることは、実は間違っています。

エゼキエル書33章14節から16節には、主の言葉がこうあるからです。

わたしが悪しき者に「あなたは必ず死ぬ」と言っても、もし彼が自分の罪から立ち返り、公正と義を行い、その悪しき者が質物を返し、かすめた物を償い、不正を行わず、いのちの掟に従って歩むなら、彼は必ず生き、死ぬことはない。彼が犯した罪は何一つ覚えられず、公正と義を行った彼は必ず生きる。

このように、神様は、神の公正と義を行うという人間の自由責任に、預言の最終決定を委ねています。

(もちろん古い契約ではなく、イエス様ご自身が、放蕩息子のたとえをもって、同じ契約を示されます。)

さらに、人は、そのとき喜ばれる神様を、冒頭の聖句から知ることもできます。

わたしは決して悪しき者の死を喜ばない。悪しき者がその道から立ち返り、生きることを喜ぶ。(エゼキエル書33章11節より)