過去を否定すれば、自らを否定する

【本日のリマ】

ホセア書10章3節
今、彼らは言う。「私たちに王はいない。私たちが主を恐れていないからだ。王がいても、私たちに何ができるだろうか。」

【追記】

これは、ホセア書10章における、滅びを前にした北朝イスラエルの人々のセリフです。

《主を恐れない》ことで、自分の強さを誇ります。

また、《王がいない》ことで、形式的な自由を誇ります。

あたかも、自分たちは、父祖の歴史から脱出した先駆者だと、言いたいようです。

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しかし、彼らのセリフには、《過去の否定》しかありません。

彼らは、失敗した過去を否定しさえすれば、正しい何かになると、刹那的に期待するのです。

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現代においても、この《過去の否定》という考え方は、社会全般に広がっています。

特に、唯物論や共産主義といった《神なき論理》では、過去の否定を繰り返すほど、社会が正しい方向に向かうと考えます。

しかし、過去を否定して建国された北朝イスラエルが、歴史から否定されて滅びるしかなかったという教訓があります。

現代人の本心も、過去の否定ばかりでは、いつまで経っても正解にたどり着けないという不安を感じます。

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それでは、本当の正解は、どこにあるのでしょうか。

それは、過去を否定する者たちが隠してきた、過去の、さらにもっと過去にありました。

すなわち、太初の始まりである唯一なる神様を知ってたずねるところに、正解があるのです。