《人間の知恵によることば》と《御霊によることば》

【本日のリマ】

コリント人への手紙第一2章13節
私たちは人間の知恵によって教えられたことばではなく、御霊に教えられたことばを用います。

【追記】

ある人から教えてもらいました。

《海》に行きたい人は行けばいい、行きたくない人は行かなければいい。
こちらは、個人が自由に選べる問題です。

一方、《呼吸》は、だれでも必ずします。《呼吸》をしない人はいません。
こちらは、個人が選べる問題ではありません。

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イエス様は、《カエサルのものはカエサルに、神のものは神に》と言われました。(マルコ12章17節を参照)

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具体例をあげてみます。

マイナンバーカードは、不要な人は持たなければよいし、仕事で必要な人は持つしかないでしょう。

こちらは、《カエサルのものはカエサルに》の範疇に収まって《神のものは神に》に反しない限り、個人が自由に選べる問題です。

このように自由に選べると言えば、両論の立場から反論が出るかもしれません。

でもそれは、自由に選べる問題だから、反論が出るということにすぎません。

そうなるのが必然なのに、両論で争うことは、それこそイエローカードです。

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一方、LGBTQを社会的に拡大することは、聖書も禁じているように《神のものは神に》に反します。

こちらは、個人が自由に選べる問題ではありません。

(聖書は、LGBTQによる婚姻関係を禁じています。)

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どこが、境界ラインでしょうか。

人の知恵は、個人によってそれぞれ違いますから、相対的です。

その相対的な知恵で相手を説き伏せようとすれば、相手の知恵とぶつかって、家族や社会を分断します。

家族や社会が分断されれば、神の国は遠ざかります。喜ぶのは、背後の破壊者たちです。

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しかし、御霊に教えられたことばは、《神のものを神に》という次元ですから、絶対的で永遠の価値観を与えます。

そう考えて、冒頭の聖句を振り返ってみてください。

私たちは人間の知恵によって教えられたことばではなく、御霊に教えられたことばを用います。(コリント第一2章13節)