【本日のリマ】
コリント第一14章5節
異言で語る人がその解き明かしをして教会の成長に役立つのでないかぎり、預言する人のほうがまさっています。
【追記】
異言とは、異国の言葉など、理解のできない言葉で語りだす霊的現象のことです。
預言とは、神様のみ言葉を預かって語ることです。(未来予知の予言とは似て非なるものです)
パウロは、異言について、今まで信じなかった人が信じるきっかけになる点で、異言の価値を認めています。(コリント第一14:22参照)
しかし、パウロは、異言には解き明かしが必要だと言います。
解き明かしのない異言は意味不明であって、それを有難がるだけでは神様の知恵や恵みは与えられないからです。
逆に、教会が異言(個人の霊的現象)に支配されて、外の人から気が変になった(つまりカルト)と誤解されないようにと注意します。(コリント第一14:23参照)
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パウロが手紙を出したコリントの教会は、異言のような個人の霊的現象に支配されて、預言としての福音を十分に知ろうとしない風潮があったのだと思います。
キリスト教は、キリスト教弁証論が示すように知的な背景があります。
それは、そもそも神様が全知の方であるからです。
その神様の知にたずねる態度がキリスト者には求められます。
意味不明な霊的現象に支配されてはいけないということですね。