【本日のリマ】
マタイの福音書16章21節
そのときからイエスは、ご自分がエルサレムに行って、長老たち、祭司長たち、律法学者たちから多くの苦しみを受け、殺され、三日目によみがえらなければならないことを、弟子たちに示し始められた。
【追記】
冒頭の聖句で、イエス様は、エルサレムで殺されること(つまり十字架)、そして三日目に復活されることを語られます。
マタイの福音書は、この聖句で《そのときから・・・弟子たちに示し始められた》と表現しています。
《そのとき》を境にしてイエス様は『殺される運命』を示し始めたということです。
言い換えると、《そのとき》より前は、イエス様は『殺される運命』について語っていなかったことになります。
同じ表現は、マルコ8:31にも《教え始められた》として登場します。
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両方の福音書にあることから、イエス様が『殺される運命』を語り始める境界である《そのとき》を、弟子たちがはっきり意識していたことが分かります。
では、《そのとき》とは、いつ頃でしょうか。
《そのとき》の前後の出来事から推測する限り、イエス様の公生涯(3年半)のおよそ2/3を過ぎた頃と考えられます。
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では、《そのとき》より前、イエス様の福音の中心は何だったのでしょう。
ほかの町々にも、神の国の福音を宣べ伝えなければなりません。わたしは、そのために遣わされたのですから。(ルカ4:43)
《そのとき》よりも前、イエス様は、『神の国(原語は王国)』の福音を宣べ伝えるために遣われたと、ご自身の言葉ではっきり語られています。
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2000年後の今、私たちにとってイエス様の十字架による贖罪の恵みが大きいがゆえに、十字架の贖罪がイエス様が来られた主たる目的と信じるかもしれません。
しかし・・
イエス様には、十字架を贖罪(福音)として、直接に語られた形跡は見当たらないのです。
イエス様は、十字架の運命を、人間の無知ゆえの不幸な出来事として語られるばかりです。
では、十字架による贖罪が、福音として宣べ伝たえられるようになったのは、いつ頃からでしょうか。
それは、十字架による贖罪を現に受けた使徒パウロやキリスト教会でのその後のお話になります。
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十字架のとき、使徒たちは保身のために逃げ隠れています。その十字架の場で使徒たちがただちに贖罪されて生まれ変わったとは思えません。
使徒たちが殉教も厭わずに生まれ変わるのは、3日後に復活されたイエス様が使徒たちのもとを訪ねられた後からです。
そのときから、使徒たちは、イエス様の本来の目的であった『神の王国』の福音を宣べ伝え始めるのです。