【本日のリマ】
エゼキエル書12章2節
彼らは見る目があるのに見ず、聞く耳があるのに聞こうとしない。彼らが反逆の家だからである。
【追記】
エゼキエル書12章は、バビロンに捕囚されるエルサレムの民(選びの民)に対する言葉です。
章全体を通して滅びの預言のように厳しい言葉が並びますが、歴史を知れば違う神様の心情が見えてきます。
このときバビロンに捕囚された民の系譜から、やがてイエス様がお生まれになるからです。
そう考えると、滅びの預言で見捨てたわけではなく、イエス様降臨の期待を込めた警告と分かります。
主のもとに帰ってきなさいと望みを託しているのです。
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一方、民は、目と耳があるのに、バビロンに捕囚されるという差し迫った現実から無意識に目をそらしています。
それは、心の奥で神様に反逆していることが原因です。
神様に反逆した状態で、たとえ正しい道を行こうとしても、本来の方向性(神様が人を創造された目的)からは少しずつずれてしまいます。
その結果、バビロン捕囚のようなつらい現実に対してどう向き合うべきか分からず、目をそらすようになります。
反逆に囚われたまま、自分探しを続けるのか・・それとも、どこかで分かって神様を受け入れて立ち帰るかです。
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地上での時は限られていますから、どこかの時点でふと感じたら、主を受け入れることで、反逆から自分を解放してみることかもしれません。