恨みのはてに光を

【日々のリマ】

詩篇109:2
彼らは 邪悪な口と欺きの口を私に向けて開き 偽りの舌をもって私に語るからです。

【追記】

詩篇109編は、一般に《のろいの詩篇》と呼ばれます。

それは、ダビデが、自分を苦しめる相手を神様に訴えるところから始まるからです。

彼らは、善に代えて悪を、愛に代えて憎しみを、私に返しました。(詩篇109:5)

ダビデに理不尽な仕打ちをする相手(複数?)だったようです。

一方、ダビデの《のろい》の内容は、具体的です。

彼の日数はわずかとなり(詩篇109:8)

子どもたちはみなしごとなり、妻はやもめとなりますように(詩篇109:9)

彼らの子は、さまよいながら物乞いをし(詩篇109:10)

このようにして、ダビデの《のろい》は、20節まで延々と続くのです。

この《のろい》から、ダビデが直面する苦しみがどれほどであったか思い知らされます。

・・・

ここで注目する点は、ダビデが訴えている先がどこかです。

もし仮に、ダビデの訴え先が、神様ではなく、サタンであったら・・どうだったでしょう。

サタンは、ダビデの《のろい》を止まらなくして、負の感情でダビデの心を支配するでしょう。

そして《のろい》のはてに、ダビデの心はすさみ、心を病むことになったかもしれません。

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しかし、ダビデの訴え先は、主なる神様でした。

詩篇109編が、次の言葉から始まるからです。

私の賛美である神よ、沈黙しないでください。(詩篇109:1)

神様に訴えたがゆえに、ダビデの《のろい》には、光が指します。

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光といっても、それはダビデが願った相手の破滅ではありません。

義と公平の神様が裁く人間の罪を、ダビデが勝手に決めることはできないからです。

そもそも、神様は、人間の《のろい》の実現者でもありません。

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ダビデに指す光とは、神様に言うだけ言った後で、相手のことを《神様にゆだねる心境になった》ということです。

それは、次のダビデの言葉にあらわれています。

これは、あなたの御手。主よ、あなたがそれをなされたのだと。(詩篇109:27)

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そして、ダビデは、神様に言うだけ言ったことで、《のろい》という心の貧しさも知る境地に至ります。

主は乏しい人の右に立ち、死に定める裁きから救ってくださいます。(新共同訳・詩篇109:31)

人は、心に抱えきれない苦しみを持つとき、(サタンではなく)神様に言うだけ言うことも大切ですね。

そのことで、ダビデのように、恨みのはてに光を得ることができるからです。