【日々のリマ】
エレミヤ書22:15
あなたの父は食べたり飲んだりし、公正と義を行ったではないか。そのとき、彼は幸福であった。
【追記】
エレミヤ書22章は、ダビデの家系のユダ王についての戒めです。
その厳しい言葉の中で気になったのは【そのとき、彼は幸福であった】という言葉です。
聖書(新改訳2017)の中で、【幸福】という言葉が登場するのは、次のたった三箇所になります。
彼は自分の民の幸福を求め、自分の全民族に平和を語る者であった。(エステル10:3)
あなたは杉の木で競って、王になろうとするのか。あなたの父は食べたり飲んだりし、公正と義を行ったではないか。そのとき、彼は幸福であった。(エレミヤ書22:15)
虐げられた人、貧しい人の訴えを擁護し、彼は、そのとき幸福であった。(エレミア書22:16)
これら三箇所の幸福に共通するのは、自分のためというよりも相手のためです。
一言でいうなら【ために生きる】気持ちになります。
【ために生きる】の気持ちであれば、無用な争いも意地の張り合いも不要です。
エレミアを通して神様の厳しい戒めの中に、出口に向けた一筋の光を見たような気がします。