主は、私の主に言われた

【日々のリマ】2023年2月16日(木)

詩篇110:1
ダビデによる。賛歌。主は、私の主に言われた。「あなたは、わたしの右の座に着いていなさい。わたしがあなたの敵を、あなたの足台とするまで。」

【追記】

冒頭の聖句には、《主》と《私の主》と・・主がお二人登場します。

最初の《主》は、神様です。

次の《主》は、その神様の右の座に着かれることから《キリスト》と分かります。

ダビデは、御霊に満たされて、神様を《主》と呼び、キリストを《私の主》と呼んでいるのです。

この聖句を、キリストであるイエス様ご自身が説教の中で引用されます。

すると、イエスが彼らに言われた。「どうして人々は、キリストをダビデの子だと言うのですか。(ルカ20:41)

ダビデ自身が詩篇の中で、こう言っています。『主は、私の主に言われた。「あなたは、わたしの右の座に着いていなさい。わたしがあなたの敵をあなたの足台とするまで。」』(ルカ20:42-43)

ですから、ダビデがキリストを主と呼んでいるのです。それなら、どうしてキリストがダビデの子なのでしょう。」(ルカ20:44)

当時、預言者の言葉によって、ダビデの系譜からキリストが誕生すると人々は思っています。

キリストが、ダビデの子(マタイ1:1参照)と呼ばれる由縁です。

しかし《肉の系譜》では、キリストは、数多(あまた)いるダビデの子孫の一人にしかならず、キリストとしての唯一なる価値が分からなくなります。

そのキリストが他と違うのは、神様の右の座から来られたと言われる《霊の系譜》になります。

すなわち、キリストの霊の系譜は、直接に神様なのです。

その意味で、キリストは『地上に先祖を持たないアダム』と同じ立場と言えます。

キリストを指して『最後のアダム(コリント第一15:45)』と呼ぶのは、そこから来ています。