【日々のリマ】2023年1月21日(土)
詩篇103:10-11
私たちの罪にしたがって 私たちを扱うことをせず 私たちの咎にしたがって 私たちに報いをされることもない。天が地上はるかに高いように、御恵みは、主を恐れるものの上に大きい。
【追記】
一般に、旧約の律法は、【目には目を】で罪を償うという印象が強いです。
相手に与えた損害と等しいだけの損害を負う(支払う)ことで、相手に赦してもらうという方法です。
一方、イエス様の例えはこうです。
「ある金貸しから、二人の人が金を借りていた。一人は五百デナリ、もう一人は五十デナリ。彼らは返すことができなかったので、金貸しは二人とも借金を帳消しにしてやった。それでは、二人のうちのどちらが、金貸しをより多く愛するようになるでしょうか。」(ルカ7:41-42)
もちろん、義なる神様ですから、自由意志で義を立てる【悔い改めの条件(蕩減条件)】は必要とされるでしょう。
しかし、神様は、負う悔い改めをはるかに上回る恵みで、大きな蕩減(赦し・帳消し)を与えるという話ですね。
冒頭にあげた詩篇103篇の一節も、『目には目を』とはまた異なる聖句です。
私たちの罪にしたがって 私たちを扱うことをせず 私たちの咎にしたがって 私たちに報いをされることもない。(詩篇103:10)
天が地上はるかに高いように、御恵みは、主を恐れるものの上に大きい。(詩篇103:11)
旧約でありながら、神様の蕩減(赦し・帳消し)のみわざを賛美する内容で、新約のイエス様に似て、旧約新約を通じて現れる神様の一貫性を感じます。
【はるかに高い御恵み】は、神様の愛をあらわします。
【主を恐れるものの上に大きい】は、神様の義をあらわします。
そう考えると、愛であって義でもある神様が感じられますね。