【要の石】をどう扱ったか

【日々のリマ】2023年1月20日(金)

エペソ人への手紙2:20
使徒たちや預言者たちという土台の上に建てられていて、キリスト・イエスご自身がその要の石です。

【追記】

【要(かなめ)の石】という言葉は、かつてイエス様が共観福音書の中で使われていました。

そのときの【要の石】が何を指すのか、イエス様のみが知る奥義(つまり謎の言葉)でした。

パウロは、冒頭の聖句において、その謎を初めて世に明かします。

【(要の石)=(キリストご自身)】だったのです。

そこから、イエス様がかつて本当に言いたかったことに気づきます。

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そこから、マタイ21:33-44のぶどう園の例えを見てみます。

主人(神様)が、造り上げたぶどう園を農夫(選びの民)にまかせて旅に出ます。

主人(神様)は、自分の収穫を受け取ろうと、しもべ(預言者)を遣わします。

しかし、農夫(選びの民)は、そのしもべ(預言者)を殺します。

そこで、主人(神様)は、息子(キリスト)を遣わします。

農夫(選びの民)は、主人の息子(キリスト)を殺して、息子(キリスト)の相続財産を奪います。

イエス様は、例え話を終え、こう言われます。

『家を建てる者たちが捨てた石、それが要の石となった。』(マタイ21:42)

家を建てる者たち(神の国を建てるべき選びの民)が石を捨てました。

その捨てた石は、知ってか知らずか、要の石(キリスト)でした。

そして、イエス様は、こう宣告します。

ですから、わたしは言っておきます。神の国はあなたがたから取り去られ、神の国の実を結ぶ民に与えられます(マタイ21:43)

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ここで、パウロが気づいた奥義は、まさにここです。

要の石をどう扱ったか。

すなわち、キリストをどう扱ったかで、選びの民は分岐点に立ちました。

選びの民(パリサイ人や祭司長)は、キリストを捨てる扱いをしたので、神の国(王国)を建てる立場から外されます。

そして、神の国の実を結ぶ民が、選びの民の立場を代わります。