艱難のときの言葉

【日々のリマ】2023年1月22日(日)

エレミヤ書14:3
高貴な人は、召使いに水を汲みに行かせるが、彼らが水溜めのところに来ても、水は見つからず、空の器のままで帰る。彼らは恥を見、辱められて、頭をおおう。

【追記】

冒頭の言葉は、日照りのことについて、エレミアにあった主の言葉です。

日照りのときは、高貴な人から、農夫から、野の動物も、当然に皆が酷く苦しむことになります。

エレミアは、覚悟を決めて、厳しいことをこう言います。

私たちの咎が、私たちに不利な証言をしても、主よ、あなたの御名のために事をなしてください。(エレミア書14:7)

エレミアは、このように厳しいことばを言います。

一方、エレミア以外の預言者はどうだったでしょう。

この時代、他の預言者は『戦争は起きない、飢饉も起きない』と楽観的な預言をしていたようです。

あなたなら、どちらの預言者を信じたくなりますか。

正しいが厳しいことを言うエレミアか、でたらめでも楽観的なことを言ってくれる預言者か。

神様は、後者の預言者について、ハッキリこういいます。

あの預言者たちは、わたしの名によって偽りを預言している。
わたしは彼らを遣わしたこともなく、彼らに命じたこともなく、語ったこともない。
彼らは、偽りの幻と、空しい占いと、自分の心の幻想を、あなたがたに預言しているのだ。
(エレミア書14:14)

当時の預言者の多くは、王様にお金で雇われた御用学者です。

彼らは、自らの保身のため、王様に耳触りのよいお世辞の言葉を言えばよかったのです。

しかし、艱難のときにあって、御用学者が言う『耳触りのよいお世辞』を信じれば、そんなはずじゃなかったと、皆で滅びることになります。(たとえ滅びなくても、神様の深刻な思いからは遠くなります。)

神様であれば、艱難のときこそ、エレミアのように、信仰の足もとをただせと厳しい内容を伝えます。

それは、皆で艱難のときを超えるためです。

今の世界を見れば、コロナ・新型ワクチン・戦争と、艱難のときであることは確かです。

こんなときだからこそ、耳に痛くて厳しい言葉であっても、それを正しく見極めて受け止めることが大切になります。