わたしの聖所が永遠に彼らのうちにあるとき

【日々のリマ】2023年1月18日(水)

エゼキエル書37:28
わたしの聖所が永遠に彼らのうちにあるとき、諸国の民は、わたしがイスラエルを聖なる者とする主であることを知る。

【追記】

主は、モーセに幕屋を造らせるに際して、次のように予定します。

彼らにわたしのための聖所を造らせよ。そうすれば、わたしは彼らのただ中に住む。(出エジプト25:8)

聖所である幕屋は、選びの民がエルサレムに定着すると共に、エルサレム神殿へと発展します。

主が地上において住むための聖所は、地上に来られるキリストの予兆です。

キリストなる方は、天地創造の唯一なる神様が受肉して住まわれる方であり、地上に神様の血統とみ言を顕現させる方という意味で【聖所の実体】であり、100%神様であるからです。聖書はそのことを強調します。イエス様も、再臨のキリストも、当然にそういう方です。

さらに、キリストは肉身をもって地上に生まれる方でもあって、人間の立場で、神様の創造目的を完成させるという意味で、100%人間でもあります。イエス様はもちろん、再臨のキリストもそうなります。

だからといって、キリスト以外の人が、地上で創造目的を完成して個性完成者になっても、キリストになることはありません。それは、神様の血統は創世記のときと同様に一人のアダム(キリスト)から出発しなければならないからです。

・・・

聖書をよく知らない立場では、いくら義を語っても人本主義(ヒューマニズム)にしかならず、人間の努力のみを追求する恵みのない歩みになります。それでは、キリスト不在の古い時代のパリサイ派の信仰にしかなりません。

一方、十字架の福音のみを強調する信仰重視の立場では、キリストが地上にもたらす福音である【神の王国】の伝播と建設は隠れてしまって、今も昔も変わらず悪なるサタン勢力が人間を通して跋扈する地上のままです。

まず、出発点は、キリストは、100%神様であり、100%人間であることを知って、その次となります。