【日々のリマ】2023年1月11日(水)
ゼカリヤ書11:11
その日、それは破棄された。そのとき、私を見守っていた羊の商人たちは、それが主のことばであったことを知った。
【追記】
ゼカリヤ書11章は、隠喩で語られます。その隠喩の解釈に不肖ながらチャレンジしてみます。
屠られる羊を売る商人が登場します。その商人は、自分のことを【主に褒め称えられて豊かになった】と自慢します。
しかし、この商人の原語【aw-nee’】の意味は【貧しい】です。KJV版聖書は、その意味通りに【the poor】と訳します。
商人は、羊を屠って売ることで、神様によって豊かになったと自慢しますが、神様から見て貧しき者という意味です。
そこで、神様は、ゼカリヤに命じます。その商人らと共に、屠られる羊を飼えと。
そのとき、ゼカリヤは、二本の杖を手にしています。
杖の一本は「慈愛」であり、もう一本は「結合」です。
ゼカリヤに任されたのは、その二本の杖をもって、商人たちと、屠られる羊の面倒をみることでした。
ゼカリヤは、牧者として、できるだけ羊の面倒をみようとします。
しかし、前からいる三人の牧者との関係が悪く、うまくいきません。
とうとう、ゼカリヤは、商人たちの前で「慈愛」の杖を折ることになります。
それを見た商人たちは、ゼカリヤこそが主の御心であったことが分かります。
商人たちは神の威は借りていましたが、それはかたちばかりの権威であったと知るわけです。
そこで、ゼカリヤは、(なぜか急に)商人たちに対して自分の賃金を求めます。
ゼカリヤの賃金(価値)は、商人たちが惜しんだがゆえに、わずか銀30シュケルにしかなりません。
神様は、ゼカリヤにそれを陶器師に投げ与えよと命じます。
ゼカリヤは、銀30枚を主の宮の陶器師に投げ与えます。
イエス様のとき、イスカリオテのユダが、イエス様を売った銀と同じく30枚です。その銀30枚は、ユダ亡きあと、陶器師の畑を買うために使われています。
商人(祭司)たちは、イエス様のことを低く値踏み(評価)するだろうという警告です。
そこで、ゼカリヤは、残りの杖「結合」を折ります。
ゼカリヤは、このことが、南朝ユダ(二部族)と北朝イスラエル(十部族)の兄弟関係を破棄するためだと言います。
そして、ゼカリヤが去った後に、神様は、もっと悪い牧者を遣わすことになります。
ここまで私一人の個人的な解釈です。間違っていないか、皆さんも考えてみてください。
一応、このゼカリヤ書11章の隠喩は過去の出来事かもしれません。
しかし、いつの世も取り返しがつかなくなる前に、胸に手を当てて考えたらよいことでもあります。