【日々のレーマ】2022年12月15日(木)
哀歌2:3
燃える怒りをもって、イスラエルのすべての角を折り、敵の前で右の手を引き戻し、あたりを焼き尽くす炎のように、ヤコブを焼かれた。
【追記】
哀歌2章は、バビロン捕囚に至るエルサレムの陥落を嘆く預言者エレミヤの声です。
主の都である美しいエルサレムと、主の足台であったエルサレム神殿は、敵国バビロンによって焼かれます。
神様に選ばれしアブラハムの末裔が外的に攻撃されたのです。
信仰者の普通の視点では、敵国バビロンが悪であり、神様を恐れぬ暴挙と考えるはずです。
しかし、哀歌は違います。
エルサレムを焼き、神殿を破壊したのは、その神殿を足台としていた神様ご自身だと言うのです。
主ご自身の燃える怒りを、預言者エレミヤは深く感じ、哀歌という形で後世の私たちに伝えているのです。
数百年の後、イエス様が地上に来られたとき、エルサレム神殿に入られたイエス様は、不正で汚れた商売人を追い出し、屋台をムチで打ちこわします。
【宮きよめ】と呼ばれる出来事です。
宮きよめは、主ご自身の燃える怒りを、イエス様が身をもって教えてくださった出来事です。
追い出された商売人は、暴挙を受けた被害者面(づら)をしていたかもしれません。
しかし・・信仰者であれば、その攻撃が主ご自身によるものと知り、自省に至ります。
怒るに遅い神様は、先に自発的な内的刷新を待たれていたはずです。