【本日のレーマ】2022年8月4日(木)
コリント第1 2.14
生まれながらの人間は、神の御霊に属することを受け入れません。
それらは彼には愚かなことだからです。
また、それを悟ることができません。
なぜなら、御霊のことは御霊によってわきまえるものだからです。
【追記】
堕落人間は、神の御霊に属するものであることを、悟れません。
そこで、原理講論から【神の宮】についておさらいしましょう。
創造原理【個性を完成した人間の心には、神が住むようになるので、結局、このような人間は神の宮となり・・聖霊が、その内に宿るようになり】
【個性完成】は、第一祝福です。
本来の人間は成長すると、神の宮として聖霊が宿り、神性を帯びるようになります。
ここで人間に宿る聖霊を、私たちはどう捉えたらよいでしょうか。
三位一体から考えることが大切です。キリスト神学の奥義(最高到達点)の内容です。
神様は三位一体として人間に現れます。その場合、三位一体の位格の一つである聖霊は、第一位格である神の御霊とも言えます。さらに、聖霊は、創造前に神様の右におられたキリスト(イエス様、再臨主お父様)の霊とも言えます。
それゆえに、亨進牧師は、こう言われます。神様は、被造世界に対して男性格である。キリストも男性である。したがって、聖霊も男性格である。
私たちは誤解していました。個性完成における聖霊を、癒やしのイメージで女性格として考えるのは間違いでした。
そもそも神の宮に宿る聖霊を感じた場合、神の御霊である聖霊の連想から多くの方は男性格と考えていたはずです。それを、聖霊という用語から女性格と捉えてしまうと、神の御霊ではなく、神ならぬものをイメージしてしまうことになります。それは異端になります。
私たちが聖霊を女性と誤解したのは、第一祝福の【聖霊】と、第二祝福(家庭完成)の【聖神】とを混同したからです。【聖神】は、第二祝福において、相対的かつ対象的な存在であり、女性のような立場です。日本語の原理講論では、この【聖神】を【聖霊】と翻訳しています。そのため、日本語の原理講論において、【聖神】と【聖霊】は区別されずに混同されてしまったのです。
一人の人間は、神様の霊を受けて、聖霊(神の御霊=男性の格)が宿ることで、神性を帯びてこそ個性完成します。
聖霊役事について亨進牧師は、キリストであるお父様が成されると言われました。そのことと合わせて考えてみましょう。