良心からの逃れ

【今朝のレーマ】
2022年6月20日(月)

マタイ 27.64

ですから、三日目まで墓の番をするように命じてください。

そうでないと、弟子たちが来て、彼を盗み出して、『死人の中からよみがえった』と民衆に言うかもしれません。

そうなると、この惑わしのほうが、前の場合より、もっとひどいことになります。」

【追記】

日々のレーマは、イエス様の肉体が墓に入れられた時の話です。

パリサイ人は、弟子がイエス様の体を盗み出して、イエス様が復活したと言いふらすことを心配しました。

しかし、イエス様が死刑になるような大悪人なら、パリサイ人はこんなことを心配したり、恐れるでしょうか。

パリサイ人は、心の奥底(良心)で分かっていたのかもしれません。

罪無きイエス様が万一にでも復活したらどうしようと。

悪人は、心の中の恐れから常に離れられません。

そう思って、日々のレーマを読んでください。パリサイ人がピラトを説得しようとして使う言葉です。

『この惑わしのほうが、前の場合より、もっとひどいことになります。』

良心の呵責を抱えきれなくなり、ナントカ理屈をつけようとしていますね。

こういうときこそ、お父様の御言葉【良心は羅針盤だ】を思い出しましょう。

なにか不安を感じたとき、私たちの良心にたずねれば、良心は私たちの人生に正しい方向を指し示します。

すなわち良心は、私たちの人生の羅針盤だということです。