イザヤの召命

【今朝のリマ】2022年5月22日(日)

イザヤ書 6.8
私は、「だれを遣わそう。だれが、われわれのために行くだろう」と言っておられる主の声を聞いたので、言った。
「ここに、私がおります。私を遣わしてください。」

【追記】
イザヤ書6章の神様によるイザヤ召命のシーンです。

そこに至るまでが大切でした。
それまではイザヤは、ウジヤ王に使える預言者でした。
ウジヤ王は善い王様でしたのでイザヤはウジヤ王が大好きでウジヤ王のためだけに預言をしていました。
イザヤにとってウジヤ王はそれだけ大きな存在でした。
しかし、イザヤは、ウジヤ王が死んだ後に、神様という大きな存在に気がつくのでした。

神様の存在に気づいたイザヤに、神様は神様の王座を見せます。
その王座の偉大さに驚いたイザヤは、自分の立ち位置に初めて気づき、つぶやきます。
「ああ。私は、もうだめだ。私はくちびるの汚れた者で、くちびるの汚れた民の間に住んでいる。しかも万軍の主である王を、この目で見たのだから。」

このイザヤの悔い改めが、イザヤ召命の鍵だったと思います。

すると、神様は、燃える炭のようなものをイザヤの口に触れさせて、イザヤの不義を取り去り、罪を贖います。
そうしてから、本日の神様によるイザヤ召命のシーンになります。

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