【日々のレーマ】
箴言,23章17節
心のうちで罪人を羨んではならない。いつも、ただ主を恐れていよ。
【追記】
冒頭の聖句は、【心のうちで罪人を羨んではならない】です。
だれも、表立って、罪人がうらやましいと言う人はいないでしょう。
しかし、箴言は、人々の心の内は違うから、注意せよというわけです。
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そんなふうに、目の前の罪人を、権力に反抗する者として、かげでもてはやす人がいるかも知れません。
しかし、この世界には、壊すことのできない、絶対的な価値が存在します。
それは、家庭の価値であったり、個人の価値であったり、社会の価値であったり、です。
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それらの絶対的な価値は、人間が作ったものではありません。
絶対的な価値の根源には、それらを創造された御方の存在と、その意志があります。
もしも、格好をつけて、その第一原因たる神様にまで反抗すると、どうなるでしょう。
自分の第一原因を否定すれば、自分が生まれてきた本来の目的を失い、存在の絶対的な価値や、将来までも失いかねません。
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そのため、冒頭の聖句は、いつも、ただ、主を【畏れ】ていよと、続くのでしょう。
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ちなみに、この【畏れ】の原語であるヘブライ語ベ・イィルアトには、尊敬の感情が含まれます。
高位の御方に敬意と感謝を表現する意味の【おそれ】なのです。
ですから、神様を、魔物のように恐れるわけではありません。
もし、恐怖から入れば、自己中心の恐怖信仰になって、信仰の出発から間違うことになります。
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『正しく畏れる。』、すなわち第一原因たる神様に、いつも敬意と感謝を払うなら・・。
として箴言の言葉はこう続きます。
あなたには確かに将来がある。あなたの望みは断たれることはない。(箴言,23章18節より)
目の前の罪人を羨んだり、ねたんだりせずに、第一原因たる神様を思いましょう。