【日々のレーマ】
列王記第二,16章3節より
異邦の民の、忌み嫌うべき慣わしをまねて、自分の子どもに火の中を通らせることまでした。
【追記】
南ユダの王アハズは、天地創造の神にそむきます。
アハズは、カナンの民をまねて、神ならぬ偶像崇拝を取り入れるのです。
彼らは、その偶像の前で、生贄として子供を焼き殺します。
この偶像に対する子供の生贄は、彼らに限らず、ペルーや、カルタゴなど、古代世界の各地で行われていたようです。
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古今東西において、幼児への暴虐はおぞましい内容です。
まっとうな人間の良心からは、信じられない行為です。
しかしなぜ、このような暴虐が、古代世界の各地で起きるのでしょうか。
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その理由として、生贄にされる子供の立場が、性的に退廃した末の望まない子であったからと想像されます。
しかし、性的退廃の罪に加えて、罪のない子に手をかけることは、罪に罪を重ねる行為であって、取り返しのつかないことです。
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そのような子殺しによる良心の呵責を逃れるため、偶像の神々への生贄という言い訳が利用されたのかもしれません。
神ならぬ偶像に子殺しの責任を転嫁することで、子殺しの自分の罪から目をそらそうと。
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このように、天地創造の神にそむく偶像崇拝と、人心の荒廃には、性的退廃の末の社会という関係があるのです。
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現代は、どうでしょう。
幼子の生贄はなくなったでしょうが、その代りに、人の手による堕胎が行われています。
それも、性的退廃の末の社会でしょう。
出産前であろうと、胎児は人間です。
子殺しという事実から目をそむけてはいけません。