【日々のレーマ】
ヨブ記,34章5節から6節
ヨブはこう言っているからだ。「私は正しい。神が私の正義を取り去ったのだ。私の正義に反して、私は偽りを言えるだろうか。背きがないのに、私の矢傷は治らない。」
【追記】
不幸を受けたヨブの苦悩です。
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このようなヨブの苦悩は、多くの人が感じるところです。
善人が、なぜ艱難を受けなければならないのか・・
それを突き詰めれば、罪なきイエス様が、なぜ十字架による艱難を受けなければならなかったのか・・
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それに対し、神様は、ヨブ記の最終局面において答えます。
神様は、ヨブに対し、被造物すべてに善かれと調停して働かれる神様を教えるのです。
(全体を活かすために、個が一時の犠牲になることも、尊い愛の範疇なのだと。)
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そうして、ヨブは、自分だけを義として苦悩した視点から、神様が、広大な心情と悲しみの事情を持たれた御方であることを初めて知ります。
このことで、ヨブには、感謝の気持ちが自然に湧きます。
そうして、ヨブは自分の苦悩から救済されるのです。