神による公正は、朝ごとにくまなく照らす光

【日々のレーマ】

ゼパニヤ書、3章5節
主は、そのただ中にあって正しく、決して不正を行われない。ご自分の公正を、朝ごとにくまなく照らす光とされる。

【追記】

ゼパニヤ書3章の前半は、南ユダ王国の末期の姿を伝えます。

神様は、エルサレムが反逆と汚れに満ちたと、嘆き悲しまれます。

人々は、神様の呼びかけを聞こうとしません。神様から離れて無関係な生き方をしています。

王に仕えるはずの高官は、権威をかさに吼えたけるライオンです。

公正であるはずの司法官は、夕暮れに隠れる狼です。

神様が頼みの預言者でさえ、ふしだらで裏切ります。

神殿を守るはずの祭司も、神聖をおかして、みおしえを冒涜するようになります。

・・・

このような末期の都にあって、心あるものたちは、現状に希望を失うかもしれません。

しかし、人々の心が暴虐の闇に支配されようと、神様は、常に正しく、公正です。

神様は、ご自分の公正を、朝ごとにくまなく照らす光とされます。

人々が、打ちひしがれて闇夜の隅に隠れようと、朝を迎えるごとく、公正の光は人々の心をくまなく照らし出します。

人々は、その公正の光に我が身を照らすことで、新しく出発できるのです。

どんなに人心が廃れても、神様は常に正しく公正ですから、神様に依り頼みなさいということです。