【日々のレーマ】
マルコの福音書、16章7節
イエスは、あなたがたより先にガリラヤへ行かれます。前に言われたとおり、そこでお会いできます。
【追記】
週初めの日の早朝、女たちは、イエス様のご遺体に香油を塗ろうと、墓に向かいます。
イエス様の墓の中には、真っ白な衣をまとった青年が座っていました。
青年は、女たちにイエス様のよみがえりを伝え、ペテロたち弟子への伝言を頼みます。
・・・
その伝言とは、イエス様が、弟子たちよりも先にガリラヤに行かれるということでした。
そして、マルコ伝の16章8節は、次のように締めくくられます。
彼女たちは墓を出て、そこから逃げ去った。震え上がり、気も動転していたからである。そしてだれにも何も言わなかった。恐ろしかったからである。(マルコ、16章8節より)
この様子から、女たちは復活されたイエス様には会っておらず、このとき頼まれた伝言もペテロたちには伝わらなかったものと思われます。
・・・
なお、これ以降、すなわちマルコ伝16章9節から最後までは、後の時代に付け足されたものと言われています。そのため、多くの聖書では括弧書きになっています。
・・・
以上のことから、最初の福音書として成立したマルコ伝は、復活されたイエス様がガリラヤの地に向かうというメッセージで締めくくられていたことになります。
・・・
ガリラヤといえば、イエス様が幼少期を過ごされたナザレがある地です。
また、イエス様が、かつてペテロたちと最初に出会ったガリラヤ湖がある地です。
そう考えると、ガリラヤの地に向かわれたことには、深い意味があると思われます。
・・・
当時の人々は、地上に降誕された神であるキリスト・イエス様を拒んで、十字架で殺しました。
たとえイエス様の赦しがあろうと、キリストを殺したという事実は消えません。
十字架の救いを唱えたパウロの書簡にさえ、キリストを殺したことの後悔がたびたび現れているのです。
・・・
そのイエス様が、復活された四十日間を、始まりの地ガリラヤから始められたことは、十字架によって地上で失った人々との絆を、イエス様ご自身が一つ一つずつ再び結んでくださったようにも思えます。
人々のキリスト殺しという後悔に対し、これ以上にない感謝すべき出来事でありました。